皆さまこんにちは。
一度は初夏らしくなったのに、きょうも朝から雨雲が低く垂れ込め、ぱっとしない天気の札幌です。
きょうも昼練で札タへ行って来ました。
札タに到着すると、見慣れたクルマが…なんとブロ友「苫小牧のお方さま」でした。
DD51が入換代走に入っていた頃は結構な頻度でこの場所でお目にかかりましたが、きょうは久し振りです。
情報交換しますと、今朝方3055レでクマダブルが走ったとか。恐らく苗穂入場車と思われますが、はまなすの9連増結と絡めて撮影できたのに、この悪天候で出撃をサボるとこんなサプライズがあったのですね。元気のいいブロ友さまはきっちり押さえていらっしゃいますので、やはり現場百回をさぼった自分を反省せねばなりません
さて、札タの光景

HD300 札タ構内 2015-06-09
札タ入換動車のHD300がコキの入換を行っています。
きょうは火曜日なので、1085レはウヤで、引き出しはありません。
一方で目を北の方に転じると…

札タ構内 2015-06-09
札タの構内通路に大型トラックが入り込んでいます!
ハテ、どこから入り込めるのかと思ったら、コンテナホームの白石方の端から、線路を跨いで通路が整備されているようです。
何をしているのかと思ったら、苫小牧のお方さまの観察結果ですと、解体されたコキ50000の部品を積み込んでいるとか。
更に右方を見ると…

別のトラックが待機しています。かなりのコキ50000をバラすようですね。
まあ、ここで最後まで残った凸1150の解体が行われるのかと思ったら、そうはならずに苗穂へ行ったのでまずは良かったです
・札タ構内苗穂出場車置場はカラです
ここで苫小牧のお方さまとはサヨナラして、仕事に戻りました。
. * * *
きょうの小ネタは函館出張の時に観察したものから。
仕事の後、あまりに天気がいいので、久し振りに函館山へロープウェイで登りました

函館山から函館市街の夜景 2015-06-06撮影
以前はしょぼいロープウェイだったのですが、現在の大型の搬器に変わってから輸送力が飛躍的に向上し、待ち時間もあまりありませんでした。
中央が函館中心部、左手に函館湾、右側が太平洋側の大森海岸で、右端付近の明るいところが恐らく市電の終点、湯川温泉街、
そしてその右手に函館空港があるはずです。函館空港といえば、横津岳に全日空機が落ちたことがありましたね。そのミグ戦闘機でベレンコ中尉が旧ソ連から亡命を求めて着陸したこともあります。あと、ニセサリンでハイジャックをしたたわけ者もいましたね。いろいろ記憶に残る函館空港です。
そして中央奥やや左手に、ろうそくのようにすっくと立つ白い背の高いものが五稜郭タワーです。昭和時代はもっと背の低いタワーでしたが、建て替えられてこの姿になりましたが、一時期新旧タワーが並列していたことがありました。
そしてその手前に大きな船がライトアップされて函館湾に浮かんでいるのが見えると思います。これが、青函連絡船「摩周丸」です。小生も幾度も青函連絡船には乗りましたが、国鉄の運営とはいえ、当時あまり船名に関心はなく、これは貨物船改造の大雪丸だな、とかちょっと意識したくらいで、摩周丸に特別な思い入れはありません。でも連絡船が残っているのは嬉しいですね。
函館朝市の近くから見えるのですが、岸壁が手前にあって、あまり全景はきれいに見られないのが残念です
さて、翌日は仕事がないので、ぷらぷらと観光してました。
函館構内遊覧船に乗りました。

函館湾の中で船に乗るのは、連絡船を除けば、昭和末期にトンネル開通を記念して開催された「青函博覧会」の会場まで、函館駅付近から台船みたいなのに乗って以来です。
函館山と、その麓の日和坂が徐々に遠ざかって行きます…
と、次に目に飛び込んで来たのは!

青函連絡船「摩周丸」 2015-06-07撮影
そうです、沖合から眺めれば、こんなにも美しく青函連絡船を眺められることに、いままで気づきませんでした。出航の時の銅鑼の音や、接岸の時の巧な操船技術を思い出します。まだ、連絡船に乗り継ぐ列車の中では乗船名簿が配られ、氏名を記入したりしていましたっけ。当時は「遭難したら、ここで書いた名前がニュースで発表されるのだろうな…」といつも考えて書き入れていた記憶も甦って来ました
その他、こんな船も係留されているのが見えました

海上自衛隊護衛艦 「はまぎり」 2015-06-07
本来は青森県の大湊港が定係港ですが、この日はここにいました。
ということで大分脱線しましたが、きょうの日記はここで終わります。
最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。
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- 2015/06/09(火) 19:13:26|
- 日記(道内)
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