皆さまこんにちは。
きょうは家族サービスに徹しようと思っていましたが、昨日の二度寝でDE101720の回送を逃してしまったショックが大きく、きょうは朝練に出てしまいました。
春満開になった北海道地方、朝晩はひんやりしますが、もはや挨拶がきょうは暖かいねえ、ではなくなりつつあります。
現場について場内信号を見ると既に青信号に変わっています。早速DFの貨物をシュートです

DF200-102+コキ 3087レ 2013-05-19
この列車、いつもタンクコンテナが気になっています。きょうは数分遅れ、かなりの速度で力行して行きました。後から急行はまなすに追い上げられていることもあるのでしょう。
ほどなくやって来た急行はまなす

DD511095+8B 201レ(はまなす) 2013-05-19
道内のDD51の中では最若番から2番目だったと思いますが、本当に良く見かけるカマです。調整がいいのでしょう、きょうも軽快に走って行きました。最後部にスハフがついて、きょうは8Bでした。
雁行して来る3055レ。回送車連結がたまにありますので期待しますが…

DF200-122+コキ 3055レ 2013-05-19
さすがにどノーマルでした。昨日逃した1250レを別にすると、最近回送車を見ていませんね。ちょっと食傷気味になります。
美しい朝陽に輝く貨物のバックショットを

ここで急ぎ函館線に転進します。狙いは旧塗色の711系と桜のコラボです。
現着すると、早朝だというのに同業者が10名近く集まっています! イベント列車ならともかく、普通の運用の列車では結構珍しいと思われますね。すき間から手持ちで撮らせていただきます。

711系(S-114編成) 127M 2013-05-19
現在2編成活躍している旧塗色のうち、後から出場した方ですね。職員の方の自腹でこの塗装にしたと聞きます。この色、桜には似合わないのではないかと危惧していましたが、杞憂でした。
幌のついたクハのバックショットも

この型式は、いつみても静かに、かつ高速に走って行きますね。
この後千歳線に舞い戻り、8771レを待ちますが、きょうは日曜なのでさすがにウヤでした。
気を取り直して、桜の木の見えるポイントから北斗183系を狙ってみます

Nキハ183系 5004D(北斗4号) 2013-05-19
8連に増結された編成全体は入りましたが、桜の木が少々小さかったですね。183系は正面の青が目立たないものの、側面のグレーが結構明るいので、こういう撮影の時には目立っていいですね。
と、きょうもサプライズはなくここで終わっては物足りないので、きょうも小話をひとつ。
札幌から夕張まで向かう国道274号、これは撮影に行く際にもいつもお世話になる道なのですが、上野幌付近に「森のゆ」という、日帰り入浴施設兼パークゴルフ場があり、ここの露天風呂から千歳線が見下ろせることは有名です。でもちょっと古い時代を知っている人には、「レストハウス山根園」の方が通りがいいかも知れません。この入浴施設のある建物の前を走っている片側1車線の道路は国道274号線の旧道で、ここを少々札幌方向へ走ったところに、この景色があります。この付近の路線が切り替えられたのは昭和末期と記憶しています

北広島市西の里 2005-12-01撮影
写真は夕張方向を振り返ったところですが、一見どこにでもあるような青看板です。8年前の師走に撮影したので、雪景色なのはご容赦下さい。
看板を拡大してみましょう

「夕張74Km」「広島8Km」とあります。夕張はわかりますが、いまどき“広島”でぴんと来る道民はどのくらいおいででしょうか? 広島県から開拓団が入植し、広島と名づけた、そう、現在の北広島のことですが、この標識の設置当時の昭和時代、公の名称で「北広島」を名乗るのは国鉄の駅名くらいで、住所も札幌郡広島町でした。それが平成8年の市制施行の際に、全国で同名の市は原則設置させない、ということで「北」広島市となり、その後次々と公私含め各種名称が広島から北広島へ改称されて行った経緯がありますが、現在でも施設によってはいまだに広島の名称を残しているところもありますね。
余談ですが、伊達紋別駅のある伊達市は、当時広域合併と名称変更を予定していたこともあり、平成の大合併で福島県にも同名の伊達市が誕生してしまいました。結局北海道の広域合併は破談になり、全国で伊達市がふたつ存在することになりましたが、2011年の東日本大震災で盛んに(福島県の)伊達市の地名が放送されることになり、軒を貸して母屋を取られる状態になっています。
ついでに、伊達紋別といえばオホーツクの紋別市と紛らわしいですし、日高管内には門別町(現在は合併して日高町)もあって、音が同じで、ラジオ放送の際にはアナウンサーも気をつけていましたね。
話を戻しまして、この標識撮影当時は上野幌駅の下をくぐる厚別東通は影も形もなく、付近の北広島市虹ヶ丘の地名設定前で、当時は西の里○番地でしたが、この看板はいまだに8年前と変わらず現在もこの地に立っています。
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- 2013/05/19(日) 16:58:37|
- 日記(道内)
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