皆さまこんばんは。
いつもブログ日記にしては、速報を旨としている拙ブログですが、日曜の本日は自粛警察警戒で鉄活動は控えておりました
そこへ、金曜日の観察で発生した疑問点についてブロ友の「札幌の同業者」さまから目撃コメントがあり、真相に一層迫ることができましたので、改めて当日の日記を引用して考察してみたいと思います
1月15日(金)の日記から引用して改変札タで、1週間くらいの大幅遅延した3087レを待っていました
時刻は12:45くらいです。
すると、DF200の牽引するコンテナ貨物列車が、第二着発線に到着したのです!

DF200-51(ブロックマ)+コキ 第二着発線
2021-01-15撮影(以下特機以外同じです)
何が驚いたかというと、貨物時刻表の巻末に載っている札タの構内配線図を見ていただければわかるのですが、
・第二着発線には、コンテナホームから直接入れません
・ということは、DFによる引き出しではなく、本線からの到着以外あり得ません
・第二着発線からコンテナホームには行かれません。いったん白石方の引上線に入れて折り返す方法もありますが、わざわざそうするくらいなら、直接操1~4番線の第一着発線に入れるはずです
・ということは、再び本線へ出発するという以外には考えにくいです
小生も本線からの到着貨物が、直接第二着発線に入ったのは、白石方に抜ける甲種輸送以外は記憶にありません
この時は謎だったのですが、
翌日1/16の輸送情報で、次のような記載がありました。
--------------------------
2021年1月15日(金) 8時20分~12時47分
函館線 上野幌~新札幌駅間(北海道) 輸送障害(遅れ)---------------------------
これぞまさしく、発生時刻から考えて、15日の3056レが新札幌-上野幌 間で故障したものと思われます
そしてこの3056レが、救援機51号機によって札タに持ち戻りになった瞬間を目撃したことになります
編成中には

特徴的なUT5Aコンテナがありました
朝3056レで札タを出て行った編成では、この珍しいUT5Aが最後尾に連結されているのを目撃していましたので、千歳線の途中で何らかの理由で折り返し、いま引き返して到着したものとわかります
しかも良く見ると、コキの端部に後部標識が付いています!! これが、持ち戻りの何よりの証拠です。
どこの駅で折り返したかなどの疑問を残していたところ、頼りになるブロ友、「札幌の同業者」さまが16日の夜に次のようなコメントをくださいました
(本人、誤って内緒コメントにしてしまったとのことですので、全文掲載します)
「札幌の同業者」さま:
昨日は上野幌で、2075レと2050レのカルちゃん3連発を狙うつもりでいましたが、暫く様子を見てました。5Dが通過後に発車しましたが、P.Pではありませんでした。その後、53号機が2番線に 入線し、暫く停車したのち自走で札幌機へ戻っていますおお、なんという偶然、目撃者がおられたとは! 持つべきものはブロ友ですねえ。
・15日の3056レは、新札幌~上野幌間でクマ53号機が故障して上野幌の中線に収容された
・札機から救援機クマ51号機を出し、上野幌駅の中線で3056レの最後尾に連結
・53号機は切り離して、5Dの続行あたりで上野幌の中線から新札幌方へ51号機牽引で出発
・札タ第二着発線に12:45頃到着したところを目撃した(
PPではなかった)
・その後53号機は、単機で札機に向かって出発した
ということですが、自力走行できたということは、DF53は五稜郭方のATSなど保安機器が故障したのか、あるいは出力が上がらなくなったかのいずれかでしょうか??
・この後、15日の3056レは51号機が機回しして先頭に付き、改めて折り返して、千歳線本線へ出発して行きました
沿線の目撃情報から、14:06発の時変スジあたりで出したのではないかと思われます
・故障した53号機は、翌日の3056レ次位に連結されて、五稜郭へ無動力回送されたのは、日記に書いた通りです

DF200-118の次位で回送される故障したDF200-53 3056レ これのみ
2021-01-16撮影いやあ、疑問が氷解しました。
しかし、上野幌中線、いまでは旅客しか入線することはなくなりましたが、以前は石油輸送の5772レ(後の8772レ)が、よくDD51の重連牽引で中線で後続の旅客を待避しておりましたので、撮影に通ったものです
貴重な目撃情報をいただいた「札幌の同業者」さま、ありがとうございました!
本日も最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。
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テーマ:鉄道写真 - ジャンル:写真
- 2021/01/17(日) 21:31:20|
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皆さまこんばんは。
Yahooから、2019年末頃にYahoo!ブログの終了が発表されました。
長年お世話になっただけに残念ですが、ミスター54のブログを続けるために以前、設定していたFC2ブログにてブログを復活させることにしました
ブログのURLは次の通りです。(リンクで飛びます)
新しいブログにコメントをいただく場合は、最下部右下にある「コメント」をクリックしていただきますと、コメント欄が開き、コメント出来ます
基本、Yahoo!ブログと同じ内容です。ただし、
・ブログの一部にまだ設定していない部分があり、本日時点で2017年3月の途中から、2019年2月の途中までの記事が表示されていません
しかし現在再設定中で、徐々に表示されて行くようになります。表示されない期間の日記をご覧になりたい場合は、このYahoo!ブログをご覧ください
・Yahoo!ブログへいただいたコメントは、FC2ブログへ日ごとにまとめて転載コピー開始しています
・なるべくYahoo!ブログと表示形式が似たようになるように設定しました
・FC2ブログは以前使用していたブログなので、以前読者さまからいただいたコメントが表示されています
・しばらくYahoo!ブログの並行して更新して行きますが、年末には消滅することが決定しているため、今後は可能な範囲でFC2ブログにコメントをいただけましたら幸いです(Yahoo!ブログにいただいたコメントは年内に消失するため)
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Yahoo!ブログから、FC2ブログへの移行について、お問い合わせが多かったので、説明します。
現在のYahoo!ブログをfc2ブログに移行する場合、操作はfc2側から行えば簡単です。
下記サイト
から順に操作をしていけば、基本現在のYahoo!ブログはそのまま移行出来ます。面倒な操作はなく、手続きして(PC苦手な人でも数十分で終わるかと)あとは連絡を待てば、遅くとも1週間以内(小生の場合は一晩)で完了すると思います。FC2ブログはバナー広告が少ないのと、画像が綺麗に表示されるのが魅力です
Yahoo!から案内されている移行先にFC2ブログは入っていませんが、これはあくまでYahoo!側から操作する場合の話であって、移行先ブログのサイトから操作する分には、何ら問題はありません
なお、コメントは移行されませんが、これは仕様なのでどのブログでも仕方ありません
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今後ともミスター54並びにブログ日記をよろしくお願い致します。
- 2019/02/28(木) 23:29:26|
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謹賀新年 2019
ミスター54より、新春のお慶びを申し上げます
本年も拙ブログをよろしくお願い申し上げます。
さて、いろいろな出来事が予想される2019年、北海道のJRに起こる変化を、貨物中心に、順不同で見ていきたいと思います
・DF200の追加転出
現在愛知区では、本線用DLとしてDD51とDF200の二形式が混用されていますが、DD51は825号機を最後に全検を既に終えております。残る凸を置き換える必要があり、DF200の新製計画もないことから、道内にいるDF200がさらに追加で転出する可能性があります。いつ、何号機が送られるのか、楽しみです
・青函トンネル内の新幹線電車140→160km/hへ
東京・新函館北斗間の所要時間を4分短縮させるための速度向上が行われますが、トンネル内で走行中に離合する貨物列車に新たな制限はかからないようです。良かったです
・千歳線快速エアポートが15分ヘッド→12分ヘッドに短縮
これは2020年に実施計画されているものですが、既に増備車両は全車出揃っておりますし、沿線に追加の閉塞信号機などもぞくぞく建植されつつあり、前倒しになっても不思議はありません
なお、この改正に伴って千歳通路線の千歳線取付部の改良工事実施が発表されていましたが、予定中止となり、既存設備で対応することになりました。小生が何度も提案しておりますが、出発貨物の一部は、一旦札タから白石駅1番線まで引き出し、折り返し函館上り本線と千歳下り線を横断して、千歳上り線へ合流するという提案をしたいと思います。メリットは、合流直前が上り勾配になっておらず、本線支障のロスタイムを短縮できることです
・ラッセルからDE15が引退に向けて
現在函館山線、宗谷線、石北線(遠軽以西)に定期運用のあるDE15ですが、老朽化もあり、引退へ向けてENRの試験も行われ、予断を許しません
写真は約30年前に、いまはなき深名線で撮影したDE15です(再掲)
キハ53(左)とDE15 深名線 朱鞠内 1990-02-15撮影 左のキハ56改造キハ53は既に消えて久しく、右側のDE15もその後を追おうとしております
今年も皆さまにとって良い年でありますように。
- 2019/01/01(火) 21:56:29|
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※ 2019年大幅改訂※ 422レの編成が判明したので記入皆さまこんばんは。
先日実家から、お宝発見したとの一報があり、ついでに衣浦臨海凸代走を撮影して来たところですが、その一部を公開したいと思います
※ ブロ友まつしまさまがカラーバランスを修正してくれましたので、何枚か画像修正した色調に差し替えましたその前にまずはきょうの朝練です
・発車4分前の確認で、臨試9196レのクマはいませんでした
・苗穂入場クマもいませんでした朝練は以上です。
そして、ここからは発掘して来た画像の一部も含め掲載します。
新製配置岡山機関区の
DD51 781、伯備線などで活躍した後、1978年に遙々釧路機関区にやって来ました。根室線などで夜行列車などにも活躍した時、小生も新得から芦別までコイツの牽く普通列車に乗車しました。
その時の写真です
根室線は普通列車が、凸牽引で釧路・帯広方面から滝川まで直通で走っており、夕方のこの列車も、郵便荷物車3両に、ハ3両を連ねています

DD51 781(原色)
[釧]+マニ50 2142+マニ50 2170+マニ502211+スハフ42 503+スハ45 45+スハフ42 506 422レ 新得
1984(昭和59)/08/10撮影最後まで残った3桁凸でした。800番台ではないのでレッキとしたSGつきですね。根室線や釧網線で設定されていた混合列車には、先頭に貨車を連結するため冬季スチーム暖房がカマから客車に伝わらないため、客車に暖房装置を搭載した車両がありました
乗車して、普通列車の旅を堪能します。
これは広内信号場手前の大カーブで、大変見晴らしが良い場所です。その後キハ183系おおぞらが横風を受けて築堤から転落した事故があり、ここはすべて防風板で覆われ、この景観はもはや見られません

DD51 781(原色)+荷+荷+荷+ハ+ハ+ハ 根室本線422レ 西新得(信)-広内(信)
1984/08/10撮影窓を全開にして峠の空気とDD51のサウンドを楽しんだこの列車は、新得-落合に4箇所ある信号所勤務の掛員交代列車を兼ねていて、西新得、広内、新狩勝、上落合の各信号場に丁寧に1つずつ止まって行きます。扉が手動で開閉できる旧型客車ですので、一般客もその気になれば信号所で乗車・下車が可能でした。もっとも、新狩勝トンネル内の上落合信号場での停車は不気味でしたね…
そしてこれから数年後、民営化まもない頃に、同じ凸781号機をここで見かけました。原画は今回発掘して来たフジカラーネガです

DD51 781(原色)+ワム・ワキ 総武線越中島支線
1988(昭和63)/10/02撮影(以下同じ)小名木川貨物駅(東京都江東区)発の紙輸送列車です。旅客形のSGつき凸781が貨物輸送に使われていることから、民営化を象徴しているようにも見えますね。釧路時代はプロテクタなしの旋回窓姿でしたが、この時点で再びワイパー仕様に戻されています
この越中島支線、中間に小名木川駅、終点は越中島貨物駅で、総武線の亀戸駅から分かれていましたが、総武線複々線化の時、新小岩貨物駅起点に改められました
古くは越中島駅隣接の汽車会社から、モハ80系など国鉄の新製車両が搬出されましたし、越中島貨物駅は地下鉄東西線の深川検車区と線路が繋がっていた時期があり、東西線5000系車両の新車がここ経由で搬入されたこともあります
バックショット

既に民営化されていて、昭和もあと半年で終了する頃でしたが、まだまだ紙輸送は有蓋車のワム・ワキで行われていました
越中島支線、複線準備工事もされていましたが、結局現在に至るも単線非電化のままです
どうせなら、複線電化して新木場まで延伸して、羽田空港で延ばしてはどうかと思います(昭和時代は、京葉線まで貨物線の高架橋が作られていましたが、その後取り壊されてしまいました)
そしてこの支線の中間にある小名木川貨物駅

小名木川貨物駅
着発する貨物が絶えず、活気に溢れていました。C20形コンテナを積んだトラックが見えていますね
この貨物駅、幹線道路の葛西橋通りに平面交差の踏切があり、越中島行きの貨物が通過する時は良いものの、小名木川駅出発貨物や到着貨物がある時は、長時間交通を遮断してスイッチバックをしておりましたので、その影響は大きかったですね
で、越中島支線には,大きなトラス橋もありました

竪川橋梁 亀戸方からDD51の牽くタキレがやって来ます
接近します

DD51 894+タキ
この894号機は佐倉区の生え抜きで、899号機の次が1801号機になりますから、比較的末期のロットで製造されたDD51ということになります
当時はタキもいろいろな種類があり、2両目は黄色い塗色です
広々とした橋梁のように見えますが、実際にはこの鉄橋と直角に、首都高速7号の高架橋が覆い被さっており、上側にチラとその裏側が写っています
バックショット

当時はバラエティに富んだタキが多くてまだまだ楽しめました。詳細はわかりませんが、ブロ友takekyuさまならお詳しいかも知れません
これは発掘写真のごくごく一部ですので、もっとまっとうなカットもあるはず。
きょうも最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。
- 2018/11/26(月) 18:31:08|
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ブロ友どんちく父Oさまが、1980(昭和55)年の石北貨物時刻表をアップされていました。そこで、当時のダイヤグラムと、更にSL時代の石北本線ダイヤグラム(抜粋)を掲げてみることにします
DD51最晩年の石北本線貨物は、旭川口から、北見までの一往復のみとなっていました
DD51 1150(B更新)+コキ+DD51 1165(赤A更新) 8071レ 石北線常紋峠 2014/03/16撮影 SL時代は、ここを越える9600などを撮影に、当時客扱いしていた常紋信号場へマニアが大挙して、常紋トンネルを歩いて峠の生田原側の撮影ポイントまで押しかけたものです。現在では考えられないことですね
では、1980(昭和55)年の釧網・石北線ダイヤグラム。
釧網・石北線ダイヤグラム 1980(昭和55)年10月改正
当時の一時間目国鉄ダイヤグラムでは、釧網線と石北線が一緒に作図されていました
スイッチバック式の常紋信号場も、客扱いこそなくなったもののもちろん現役で、20時過ぎには、DD51
の下り普通列車と臨貨の交換、その途中で下り特急おおとりが普通を退避させて通過と、峠の信号場に3本の列車が行き交うという、賑やかな状況でした
現在では駅廃止のみならず交換設備も廃止になった、天幕や上白滝でも列車交換が行われています。
ダイヤグラムだけでは貨車の種別がわかりませんが、どんちくさまの日記を見ると、北見まで、釧路から釧網線経由で石油輸送列車も入っていたようです。冬季の網走港は流氷で閉ざされますからね
おまけですが、釧網線には、客貨混合列車が残っています。当時は根室線の帯広以東にも残っていて、機関車(釧網線はDE10、根室線はDD51)の次に貨車、その後ろに客車を繋いでいました。客車を機関車直後に繋ぐのは、駅でホームに客車を残し、貨車だけで入換をするためです。しかし貨車にはスチーム暖房の引通管がないため、客車に暖房を送れません。こういう線区で使用する客車には、温気暖房など、独立した暖房設備を特別に備えていました
釧網線の貨物はJR化後もしばらく、中斜里のタキなどが残っていましたね
今度は遡ること8年、SL時代の石北本線ダイヤグラム(抜粋です)
石北本線列車ダイヤ 1972(昭和47)年3月15日改正
(クリックで拡大します)週間読売別冊1972年5月号より
この時は常紋峠に補機運用があり、生田原ー留辺蘂間に単行機関車列車の設定も見られます
遠軽駅に混合列車が発着していますが、根室線の40番台や、釧網線の30番台と違って20番台ですから、列番のみで混合を見分けるのが難しそうです。手違いなどなかったのでしょうか
過去を振り返るシリーズ、余り人気がありませんが、細々と続けます。